
そのプレゼン本当に失敗ですか?第一線で活躍するデザイナーから学ぶ意外なプレゼンのテクニック
はじめまして。GOOD CREWのナガタキです。
映画・漫画・アニメが大好きな8年目のデザイナーです。
日々新しいものやおもしろいものを求めて様々な作品を漁っています。そんな中、おもしろい作品を見つけたので今回はそちらをご紹介します。
ディレクターやデザイナーの方はこんな経験はないでしょうか。
デザインのプレゼンの際に最初はクライアントの反応が良かったのにプレゼンが進むにつれてなぜかだんだん温度が低くなり、挙げ句の果てには最初は反応が良かったものに対して反対意見が出てきて、微妙な雰囲気でプレゼンがクローズしてしまう、、、
私はこういった経験が何度かあり、「自分の作品がもっと良ければ」「他のデザイナーや著名なデザイナーはこんなプレゼンの雰囲気にならないんだろうなぁ」と落ち込むことがありました。
そんな時あるドキュメンタリーを見て考え方が変わりました。

Netflixで配信中の『アート・オブ・デザイン』というクリエイターにフォーカスしたドキュメンタリーです。
これまで2シーズン、14のエピソードがNetflixで配信されている『アート・オブ・デザイン』。雑誌『New Yorker』表紙をデザインするクリストフ・ニーマン、カニエ・ウェストやビヨンセなどの画期的なステージを生み出してきた舞台デザイナーのエズ・デブリン、『ドゥ・ザ・ライト・シング』や『ブラックパンサー』の衣装デザイナーのルース・カーターといった、「デザイン」という言葉から多くの人が連想する仕事の内実が興味深いのはもちろんのこと、「デザイン」そのものをアートで再定義するオラファー・エリアソンやバイオテクノロジーを駆使して素材そのものからデザインを立ち上げるネリ・オックスマンらの仕事を知ると、この世界全体がいかに「デザイン」によって形作られているかに気づかされるドキュメンタリーです。
そのエピソードの中でも私が興味深かったのがシーズン1のエピソード6『グラフィックデザイナー:ポーラ・シェア』の回です。
親の反対を押し退け一流デザイナーになったポーラ·シェアの経歴

ポーラ・シェアとは1949年バージニア州で生まれ、フィラデルフィアとワシントン育ち、Pentagramに入社し今でも第一線で活躍し続けるグラフィックデザイナー。
タイポグラフィーを用いた表現のパイオニアでWindowsやciti bank、band-aidのロゴなど代表的な作品をあげ出したら枚挙にいとまがありません。
彼女の父親は米国地質調査所の写真測量技術者であり、「ステレオテンプレート」と呼ばれる航空写真の歪みのない撮影を可能にする装置を発明した人物でした。
一方シェアは子供のころから自分の部屋で絵を描くのが好きで、1人の時間を多く過ごしていました。
これらの父親の仕事の影響や、子供のころから絵を描いてきたことが、現在シェアがカラフルなタイポグラフィで構成した地図を描き続けていることにつながり、彼女は絵を描くことで、日常生活から逃れ、満足感を得ているようです。
シェアが、タイラー美術学校に通いたいという意思を両親に示すと、父親からは反対され、母親は懐疑的になり、デザインの仕事がうまくいかなかったときのために、教員免許を取得させました。
そして彼女がニューヨークでプロのデザイナーになるという計画を伝えた時、母親から「才能が必要なのだから、そんなことはやめなさい。」と言われますが、彼女はこの言葉を無視して素晴らしいデザイナーになっていきます。
1970年に美術学士号を取得したシェアはニューヨーク市に移り、「ランダムハウス」と呼ばれるアメリカ大手出版社の児童書部門で働き始めます。
その後、彼女はアメリカのレコードレーベルである「CBSレコード」の広告、プロモーション部で働き、更に2年後、CBSレコードの競合他社である「Atlantic Records」にアートディレクターとして働きました。
Atlantic Recordsでアルバムのカバーデザインの経験を積んだシェアは、CBSレコードに戻り、8年間働きます。
1982年、CBSレコードを退職したシェアは1984年に『テリー・コッペル』と共に『コッペル&シェア(Koppel & Scher)』というデザインスタジオを設立し、7年間ブックカバーデザイン、パッケージデザイン、広告などを制作しました。
1990年代初頭の不況に煽られ、シェアは自身のスタジオを手放し、1991年にPentagramのニューヨークオフィスにパートナーとして入社します。
Pentagramでは、これまでの小さなスタジオでは通常来ないようなクライアントやプロジェクトに携われるようになり、シェアはその中でタイポグラフィの機知や概念的な解決方法のコツを磨き上げました。
その後、彼女はPentagram初の女性プリンシパルの地位にまで昇りつめます。
そんな彼女の仕事風景や考え方を捉えたドキュメンタリーは私にとって衝撃的な内容でした。
第一線を走り続けるデザイナーの意外なプレゼンテクニック
このエピソードの大部分はシェアのデザインの対する考え方やアイデアの絞り出し方、タイポグラフィの奥深さを語ったものになっています。
しかし終盤、シェアの元にキービジュアル制作の問い合わせがきてそこからプレゼンの様子が映し出されます。
すると突如このような図が登場します。

シェア曰くプレゼンの図表だそうです。
①の点線がクライアントがプレゼン担当者に対する最低限の期待値。
②の波線がクライアントの期待値の推移を表しています。
プレゼンが始まって提案が良く最低限の期待値を上回ると興奮してさまざまな質問をぶつけてくる、それを受け応えしているうちにそのプレゼンでクライアントからもらえる賞賛の声がピークに達します。
しかし、ここに来ると誰かがプレゼンに対して異論を唱え始めます。
そうすると期待値が少しづつ下がっていくが、プレゼン内容だけではなく今後の展望や展開を語りなんとか巻き返しを図ります。
そして先ほどのピークには達しないがこのプレゼンでもらえる賞賛の最高地点になるはずと語ります。
それを見極めてプレゼンを切り上げます。このまま違う提案を続けてもまた反論がくるからその場は閉じて、日を改めててまたプレゼンをするそうです。
こういった期待値の浮き沈みを繰り返しなんとか校了までもっていくというのが大体の流れだと彼女か語っていました。
このプレゼンの何が衝撃的だったかというと同業者が見ると「ごく普通のプレゼン」だったことです。
世界でトップのデザイナーのプレゼンだからきっと独自のテクニックや話法、魅せ方があるのだとばかり思っていたのだが、実際は普段私たちがやってはへこんで修正してまたクライアントのもとに足げく通って提案してまたへこんでを繰り返している「普通のプレゼン」。
世界のトップですら泥臭く校了をもらうために提案を繰り返して期待値の浮き沈みにヒヤヒヤしながら制作をしていることを知り少し勇気をもらうことができた。
プレゼン後シェアはこう語っていた。「クライアントは絶対に成功する確証が欲しい。問題なのは確証なんてないこと。人々の視点や物事の受け取り方は人それぞれなのだから。」
この言葉から聞いて、私はどこかに確証があり、それを提示できていないと勘違いしていたから自分のプレゼンのほとんどが失敗したと感じていたがそうではなく、浮き沈みし彷徨いながらゴールを目指していくものだと気付かされました。
制作やプレゼンがうまくいかず悩んでる人にぜひ見てほしいは作品です。
明日も頑張ろうと思わせてくれる素敵な作品なのぜひご覧ください。